日本・マレーシア・時々フィリピン(仕事と教育と海外拠点探し)

日本とマレーシア、フィリピンを行ったり来たりの生活。マレーシア、フィリピンに海外拠点を作りたく、下調べ中です。

大分トリニータ創設30周年 2024年末にメモリアルマッチがありました Vol.767

先輩、後輩コールリーダーと共に

我が故郷大分のサッカークラブ

大分トリニータ

創設30周年を迎え

昨年末に

メモリアルマッチが

開催されました

 

僕も若いころは

ゴール裏の統率をとる

コールリーダー(応援団長的な)

を数年間やっておりました

 

懐かしい選手たちが

出場するので

僕も会場に足を運びました

 

 

20代は大分トリニータでした

久しぶりのゴール裏でした

昔はここに立って
コールリードしてました
 僕がコールリーダーだった
ということを
知らないゴール裏の人の方が
圧倒的に
多くなったんじゃないでしょうか?
 
あの時20代な僕
 
今40代な僕笑笑
 

エジミウソン選手 2009年ロサンゼルス空港にて
キックオフ直前
みんなを奮起するために
熱く語って鼻息を荒げてもらう
演説の言葉を
仕事より真面目に考えてました
 
「煽りの挨拶で噛んだら負ける」
と太鼓リーダーに煽られ
「負けたら自分の責任」
と自分に言い聞かせ
自分が試合に出るんじゃないか
というくらい緊張しながら
毎試合毎試合
ホームもアウェーも
自分なりに挑んでいました
 
選手でもないのにって
思うかもしれませんが
それくらい真剣にしてました
 

 

マグノアウベス選手 2006年 大分空港にて
1番緊張したのは
やっぱり
2008年のナビスコ決勝
キックオフ前の
演説を考えて
噛まないようにイメトレして
前日緊張しすぎて
ほとんど眠れませんでした
試合当日は
あの壮観なサポーターの数で
一瞬頭が真っ白になりました
足ガタガタでした
選手もそうでしょうけど
コールリーダーとしての
1番の思い出は
ナビスコ決勝です
良い経験をさせてもらえました
 

 

深谷選手 2007年 某所にて
仲間と
あーじゃないこーじゃないと
議論しながら
チャントを作ったり
横断幕を作ったり
試合以外でも
ほぼ毎日くらい会ってたと思います
だから
多くの時間を過ごした
仲間は
久しく会わなくても
会えば
昨日も会っていたかのような
感じになります
濃い時間を過ごしましたから
負け試合の後
都町で飲んでいたら
「シュトが試合負けたのにお酒飲んでた」
と書かれていた時代が懐かしい
今はSNSが発達しすぎてるから
これくらい書かれるのは
当然の時代なのかもしれませんが、、、
 

 

高松選手 2005年くらい?
僕はチームにも
仲間にも
恵まれた時代に
コールリーダーをさせてもらえた
ラッキーな人間だと思っています
その愛すべき選手たちが
2回りくらい大きくなった
(僕も含めて)
体でプレーする姿を見て
月日の流れを感じつつ
皆さんそれぞれの環境で
頑張ってるんだろうな
負けられんという思いになりました
ささげた20代
いいもんだったな
と改めて思います
改めまして
創立30年おめでとうございます

 

末永く愛されるチームで

ありますように

 

 

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